旅好きル☆行き着いた先はキャンピングカー

行き着いた先はキャンピングカー

渡米を機に始めたブログ。今は旅の記録用。2018年キャンピングカーを購入し、より旅に出やすくなりました。

教会クワイヤーとちょっとした悩み

教会のクワイヤー(コーラス)にはいりました。


週一で英語教室に通っていた近所の教会。立派な教会で、2階建ての建物は小さな学校のよう。デイケアセンターや音楽室や楽器室、ジムもあります。

この教会ならちゃんとしたクワイヤーもあるかも、と思ってホームページを見てみると、シニアクワイヤ、アダルトクワイヤ、コンペティションなどにも参加する入団オーディション有りのクワイヤ、と3つもありました。

渡米したときからどこか歌える場所を探していたものの、やはり行き着く先は教会のコーラスで、でも自分はクリスチャンではないし、ただ歌いたいというだけでは動機が不純な気がして、なかなか踏み切れませんでした。

またクワイヤーに属するということは毎週日曜の礼拝に参加しなければならないわけで、週末はいつも遊びに出かけたい自分としては日曜日の午前中がつぶれてしまうことがいやだったのです。

でももう残り一年をきった今、そんなことで躊躇していてはもったいないと思い、たずねてみました。

自分の音楽のバックグラウンドと日曜日は出来る限り参加するようにするけど毎週は無理なのだが、それでも構わないかという話をすると、構わないから是非参加を、と言ってもらえました。

そして初練習参加の日。約一年のブランクがあるのでちゃんと歌えるかやや緊張。

音楽室は階段教室式でとても広く、もちろんグランドピアノがあってとても立派です。人数も多く、60人くらいいました。

その日に練習する曲のリストが置いてあり、楽譜も各自取れるように並べられており、とてもきちんとしています。

そして、みなさん笑顔笑顔、教会の人たちってどうしてこうもみんなやさしいのでしょう。会う人会う人「Welcome!」と言って自己紹介してくれますが、そんなにいっぺんに覚えられないぃ。。。

向こうにとっては、私はたった一人の外国人だし、しかも名前がmaiと単純だからすぐ覚えられてしまうけど、逆にそれがつらいです。こっそり聞いた名前を楽譜の片隅にメモします。(でも誰が誰かわからない~(><))

毎週一回のリハーサル(1.5~2.5h)で歌う曲は10曲くらい。初日は当然全部初見(しょけん:楽譜をぱっと見てすぐに歌うこと)です。

初見は苦手じゃありません。でも歌詞が伊語ならいいのに英語またはラテン語となると必死です。しかもみなさんのレベルが高い。

でもこれはうれしいことでもあって、どうせやるからには厳しくてもレベルの高い合唱団に属したいと思っていたからです。なにはともあれ、普段の生活ではなんの役にもたたない初見能力があったことと、声がソプラノでよかったとつくづく思いました。(音取りが他のパートより簡単だから。)

また、指揮者兼指導者のダン氏は音楽的にも人間的にもとてもすばらしい人です。まさに導かれているかんじ。

失礼なことに、参加するまで教会のクワイヤーがこんなに音楽的にきちんとしていると思っていなかったので、すばらしいクワイヤーの一員になれることがうれしくて歌いながら鳥肌がたちました。

さて、いっぱいいっぱいの練習後、ローブ係りの方に身長を測られ、自分のローブを早速あてがわれました。

でも私の頭は疑問でいっぱい。クリスチャンではなくて、しかも教会に通ったことなんて一度もないから何をするかも知らないのに、しかもまだ練習一回で楽譜にしがみついて歌うしかなく、みんなと足並みそろえて人前で歌えるレベルに達していない自分に、なぜいきなり礼拝参加どうぞと言えるのか。みんな優しすぎるだけに実際のところはどうなのかと逆に気になってしまいます。

とにかく今は少しでもついていくこと。本来は教会に置いていく楽譜を持ち帰らせてもらい、家で練習です。

でも今うちにはピアノもキーボードもなく、音の確かめられるものは音叉一本のみ。これで10曲以上の音取りをするのはなかなかしんどいものがありましたがいつまでも“お客様”ではいられないので早めにやってしまうしかありません。

そして昨日、2回目の参加。さらに曲が増えました。

やっぱりまだ慣れられません。なににかというと、“教会の人たち”という雰囲気にです。ただ新しい合唱団に加わるだけならなんの気苦労もないのだけれど、ここの根底にある全てはやはりキリスト教であり、その慣習や言葉など、なんとなく入り込めないのです。

練習の合間と終わりにもお祈りがあります。また募金タイム(?)のようなものもあります。募金もすればいいわけだし、お祈りだって何を言っているかわからなくてもみんなに合わせてお祈りしてみることは出来るけど、でもこちらの人(とくに南部は西海岸よりかなり生活に宗教が密着しています)にとっては、とても大切なもの且つデリケートなものであることを肌で感じている以上、浅はかな気持ち(のつもりは決してないんだけど)ではいけないんじゃないかと常に罪悪感が付きまとうのです。

だから、みんなとても親切にしてくれるけれど、どうも入り込めないというか、見えないとても厚い壁を感じます。必要以上に自分はよそ者であることを感じます。

目下のところ歌より何よりこれが一番の悩みというかどうしていいかわからないことです。

たまたま先週も今週も日曜日は予定があり、まだ礼拝には参加できていません。

そのうちちゃんと礼拝に参加するようになったら雰囲気もわかってなにか変わるのかなと。いつか壁がとければいいなと思います。

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タグ:アメリカ アトランタ 教会 ゴスペル クワイヤー 歌